20歳から30歳まで住込み勤務で貯金した金で、
神戸からオランダ船に乗り、東南アジア、南アフリカ経由でブラジルへ行った。
絵を離れて言葉も何も知らない未知の処に、ポツンと身を置きたかった。
先ずヨーロッパは皆が行くから敬遠、アメリカもJAZZに興味はあったが、
それよりもインド洋と南十字星の誘惑の方が強かった。
ブラジルのサンパウロに着いて決めていたのは、働き自ら旅をすると云う事。
SUZANOと云う近郊の果樹園を紹介して頂き、食事と寝床だけの約束で3ヵ月就労。
ビワの実を撤果中に、目前で10cm足らずの蜂鳥(ベージャ・フロール)を見た時にブラジルを実感。
その後、建設途中のブラジリアを経て、10日間のバス旅でアマゾン河口の町、ベレン着。
車中で乗客と共に歌った「トリステーザ」、意味も判らずメロディーのみでの大合唱は楽しかった。
ベレン在住の日本人に紹介を頂いて、一日余のアマゾン船旅。支流の支流と云うのに川幅の広い事に驚く。
小さな泥の中に建つ小屋へ着いて から、三週間をカボクロ達(インディオと白人の混血)と過す。
仕事は焼畑地に牧草を植える事と、流れて来る大木を泳いで蔦を巻き付け引き上げる事。
食事は三食変らず、主食はアサイ(asai ヤシ科の果実)の汁に、ファリンニヤ(マンジョカ芋の粉を乾燥したもの)
と、黒胡椒の油漬け(ピメンタ・イ・ドレノ)で、ピラニアとピラルクーの塩干物を焼いたおかずが美味。
色は汁粉にそっくりだが少し青臭く、最初は半分も喰べられなかったが、帰る頃には大きな果物椀にお代りしていた。
サソリに刺され、大河に流されかけて、死神と2、3度出会った。
紫色の夕暮れ、ランプもない静寂の夜、朝は鳥と猿の鳴声で目覚める至福の日々だった。
ベレンから赤土の凸凹道をトラックの山積み荷の上で、ロープにつかまっての旅。
荒れ果てた山や広い草原。
何100キロもバスとトラックにゆられて、
北東部のフォルタレーザでDESCARTEと云う青年と知り会う。
彼の妹と恋に落ちた時に友人、家族達と共に撮った1枚。
彼女が常に歌っていた「ダ・バンダ」。
荒れ果てた荒野の只中でトラックが故障。
トカゲ、ガラガラ蛇が土間を通り抜ける小屋で、
老婆が手挽きで沸かしてくれたCafe。
その石灰混りの水を得る為に長い道を歩き、
古い水脈を椀で掘って湧き上がる水を少しずつ、
長時間かけて容器一杯にして頭に載せて運ぶ。
自分にとっての「アグア・ジ・ベベール」見も知らぬ人達。
肌の色も性別も関係なく、人々に支えられた感謝と感動の独り旅。
ブラジルがポルトガル語を常用語にしている事も知らなかった。
己れの人生に心の糧を与えてくれた大好きな国。
Saudade Do BRASIL